2002.12.29

あなたのその気の遣い方が
どんなに私を傷つけているのか
あなたには分からない。

あなたがあと何十年か年を重ね
足や目が不自由になり
寒さが骨身にまでしみるようになり
転ぶことが寝たきりに直接つながるような
そんな状態になった時に
初めて今の私の気持ちが想像できるだろう。

私がどんな気持ちで「会う」ことを考えているか
どれだけの「時間」が私達にあるのか
だれしも必ず「死」んでしまうということを
あなたの持つ、若さや、忙しさは
簡単にかき消してくれるだろう。
あなたが今大切だと思っていることは
私にとってはもうどうでもいいことになってしまった。
私はそれを欲しがらない。
どうして欲しかったのかさえ覚えていない。
私は変化してしまった。
こんなにも年をとってしまった。
あなたはまだそこにいて。

同じ時間に
私はいるのに
同じ場所に
私はいるのに
同じものを
私は見ているのに
同じ言葉を
私は話しているのに

とても遠い・・・・

こんなに遠い・・・・

想像して
私になればいい。
想像して
私はあなたになるから。


2002.12.28

部屋の掃除もしないと
でも今の状態が一番いいような
でも作品が結露でカビてしまいそうな雰囲気。
やばいな。
でも他に置くところないしなー
部屋で意味もなくうろうろうろうろ。
私は頭の中でイメージができないと行動できないのだろうか?
確かに、何も考えずに動くと要領がものすごく悪い。
考えすぎると完璧にしたくなってダメなところでいらいらする。
んー難しいね。
あーどうしよーと言っていたら
親戚の人達が来て何やら賑やかになる。
私の部屋(本来は応接間のはずの部屋)は家のまん中にあるので
集中できない・・・
子供とばあちゃんの写真をカシャカシャ撮る。
午後は犬が洗われて少しの間座敷き犬。
猫と対決。
といっても怒っていたのはにゃんこだけ。
はっ
と気がつくともう二時すぎ。
とりあえず部屋全体のほこりを取る。
だらだらやってしまう。だら〜
何も変わっていないように見えるが
今年の大掃除はこれにて終了。


2002.12.27

こりこりごりごり描いてる。
視界は三cm平方。
こりこりごりごりこりこりごりごり・・・・
足が痺れてきたから足を切り落とす。
お腹が空いてきたから胃腸を引きずり出す。
考えてしまうから脳味噌を蒸発させる。
息をしてしまうから口を縫い付ける。
手と目だけ。
それだけ。
そんな感じ。
満ち足りているような
何もないような。
それだけ。


2002.12.26

左足首が痛い〜。嫌な感じだな。

大滝工房に冊子を置いてもらいに行く。
台湾(あれ?韓国だっけ?)のいい香りのウーロン茶を飲みながらいろいろ話す。
魚がいかにいいかを力説してくれた。
「甘鯛の酒蒸し」とか聞いただけでお腹がなりそう・・・・ぐう。
私が骨が弱いことを話すと
「魚食べな!魚!」
と強く勧められる。
海釣りかあ・・・寒そうだけど、釣れたら病みつきなんだろうなー

これからのいろいろな計画をちょっと聞く。
政治的な活動とか、これからは市民がもっと力を持っていい時代がくると思う。
日本が世界の先頭に立って、そういう国になっていって欲しいと思う。
「希望」とかいう言葉は嘘っぽいかもしれないけど
あーなんとなく、暗いやなことばかりでもないのかなーとかそういう感じ。
強く思いすぎると、念とかになってまずそうだからさ。
適度に適当に一生懸命。


2002.12.25

夜中のあなたからの電話。
あなたは泣いていた。
昼間は痛みも顔に出さずに
きっちり仕事をしていて
帰ってきては母になり家事をする。
夜遅くやっと布団に入る。
そして考えてしまう。
「眠剤を飲んで寝ても、夜中に痛みで起きてしまう。
これから眠るのが怖い。夜中に独り起きるのが怖い。」
そう言った。
深い暗い夜の奥で泣いている。
年をとった身体で子供のように。
きっと涙は止まらないだろう。
泣いて治るのならいくらでも泣いてやる。
行き場のない怒り悲しみそして言い知れない恐怖。
私は何を言うでもなく
「・・・うん・・・うん・・・」
そんな曖昧な返事をくり返すことしかできない。
励ますことなどできるはずがない。

病院の大部屋。
声を殺して泣いている人がたくさんいた。
私はそれを自分のように
宇宙から見ているように
感じていた。
そして私自身もそのひとりだったのだろう。
そんな私を見て母も泣いた。
「代われるものなら変わってあげたい」
祖母はそう言った。
本当だろうか?この痛みを?引き受けられる?
そう、思っていた。
そして
どこまでもどこまでもどこまでも
私は私だった。
どこにも抜け道などなかった。
他人に助けなど望まなかったように思うけれど
自分の中に救いがあることも知らなかった。
私は一人だ。
だれもが孤独なのだ。
どこまでも。


電話を切って、眠ろうとした。
この「夜」の中で涙を流しながら眠る人はどれくらいいるだろう?
愛している人とあたため合いながら眠る人はどれくらいいるだろう?
明日が楽しみで眠れない人はどれくらいいるだろう?
星を数えている人はどれくらいいるだろう?
今日死にそうな人はどのくらいいるだろう?
今日生まれそうな人はどのくらいいるだろう?
同じように夜になって
きっとまた朝がくるけれど
それはきっとみんなに同じ夜でも朝でもないはずだ。
私はただ
「私との今の電話で、昨日よりよく眠ってくれたらいいな」
そんなことを考えながら
目を閉じた。


2002.12.24

メリークリスマス!!
クリスチャンでもないのにこんなに祝うのって日本人だけなのかな?
世界中にキリスト教徒ってどのくらいいるんだろう?
全く想像もつかないけれど
いつもより少しでも多くの人が
いつもより少しでいいから優しい気持ちとかになれば
それでいいと思う。
十分だよね。


2002.12.22

本を読んで、年賀状を描いて、絵を描いて、ホームページの更新をちょっとする。
容量をこえて追加料金をとられていたから、写真を小さくする。
私は「アップロード」したものを取り消すのも「ダウンロード」だと思っていた。
兄に「ばか?」とまで言われた。くそう。
でも出来そうだもん。
あーもうこんな時間だー
そしてもうすぐ新しい年が始まる。


2002.12.21

どうしてだろう?
私はこんなに寂しいのに
こんなに独りになりたい。
家族がいて、家は温かくて優しくて
蜂蜜みたいに濃厚に甘い、光を帯びている。
寒いから発している体温をすごく感じてしまって、
「いつか両親も、兄妹も死んで、そしたら今みたいにあったかくないんだよな。
冷たく、冷たくなっちゃうんだよな。話しもできないんだよな」
そう思うとたまらなくなる。愛しくて怖くて。
でも独りになりたい。
幸せすぎて絵が描けない。
泣けてくる。
絵が描きたいのに部屋に入ってこられるとついいろいろ話しをしてしまう。
それはくだらないことだったりする、
明日の予定だったりする。
小さかった時の思いでだったりする。
蜂蜜の中は濃厚すぎて私では溺れてしまう。
私はきっと泳いでいたいのに。
キラリと光るものたちをきっと眺めていたいのに。
独りになったらどんなに寂しく、どんなにか楽だろう。
でも私は愛したいと思う。
でも独りになりたいと思う。


2002.12.20

今日から漢方の薬を飲みはじめた。
どうなることやら分からないが「効く」と思って飲もうと思う。
何だかいろいろなものを私用に調合してくれたらしい。
ありがたいことだな。
不味いかなあと思っていたが、そんなことはなく溶いても飲める。
葉臭いというか土臭いというか、でもきつくはない。
さっき生姜と(本当は朝鮮人参も一緒に飲むといいらしい)煎じて飲んだら身体がぽかぽかしてきた。
手があったかい。ぼへ〜。気持ちいい。
お酒を飲んだ時のようだな。


2002.12.19

あー冊子を少し配って来たんだけど、もっと置いて来てよかったんだなー
私はてっきりあれは観覧用だと思ってさ。
配るのは前もらった白い紙一枚のやつだと思ってたもんで。
今日は大きいかみ水張り、ちょっと失敗か?と思うけど乾いたらなんとかいい感じ。
大きい絵頑張るぞー。
昨日漢方薬が届く。
私の身体にどう作用するんだろう・・・不安と期待。


2002.12.18

コンサートに行って来た〜
いやあ〜ノリノリだった〜
最後はお客さんも舞台に上げて踊りまくりだった。
あの「ノリ」ってなんなんだろー
日本人にはないやはりソウルとかいうものになるのかなー
かっちょえー
やはりプロは「真剣に楽しま」ないとね!!
疲れた〜


2002.12.17

あー昨日よりろっ骨の痛さが増しているのはどうしてだろうか??
あー痛い、いちいち痛くていらいらする。
部屋の机の上がいつもいつの間にやら汚くなっている。
何とかしよう・・・
片付けは好きだが要領が悪い。
本や手紙は増えてゆくし、作品は場所をとるし。
これでもいろいろなものを処分していったんだけどなあ。うーん。
あー年賀状描いてなかったなー

明日はコンサートだあ!
楽しみだったのにこう痛いと不安も出てくる。でも楽しみ。
でも痛い。
サポーターのおかげでぺちゃぱい道まっしぐらでやんす。


2002.12.16

ガソリンアレイに置く予定の絵が今終わった。

今日は午前中異常に眠くて寝てしまった。
午後は「少年達は花火を横から見たかった」を見た。

子供の時って光っていたように感じるけれど
それはきっと実は今でも変わっていないんだよな

そして餃子をなんと皮から作る
白身魚とニラの餃子を作ろうと張り切っていたらなんと魚が塩タラだった・・・
なのですき焼き用の豚の切り身をミンチにする。トントントントントン・・・
皮を練る練る・・・もみもみ
私の手作りなんてすぐに破れてしまう皮になるだろうと思ったら
そんなことはなく丈夫な皮が出来た。
市販のは水分を抜いてあるからすぐ破れるんだな。
皮がもちもちしてて美味しかった。また作ろう。


2002.12.15

昔、意識を失ったことがあって、
本当はあの時もう死んでいて、これは私がもし生きていたらという
「願望」であるだろう「未来」を夢見ているだけなのかもしれないなあと思う時がある。
たまにまたふとそのことが浮かんだりして今日も絵を描いていたら出て来た。
15才の時に全身麻酔をしたことがあって
(私は意識を失うものか!と必死に抵抗したけど全く無理だったねえ。)
その後、「本当はあの手術は失敗して私は目覚めていないのかもしれない・・・」
「身体を実験に使う為にどこかよその国に送られてしまったのかもしれない・・・」
「今本当だと思っているこの世界は頭で考えている夢なのかもしれない・・・」
「そうなるとこの他人だと思っている人も本当は私の意識がつくり出した私の一部なのだろうか??」
「私にはすべての人の人格がもう備わっているのだろうか?」
「ということは「私」って何だ???」
・・・・・(さらに続いてゆく)
などともんもんもんと考える空想女だったんだな。
みんなきっと考えることなんだろうね。それだけの能力が備わっちゃってるんだから。
ずっと考えてるとね、すごい変な気分になってくるんだよね。
「死」とかを考える時と似た感じで、「わからなすぎて怖い」
その怖さも半端でないさ。
ぶるぶるって震えが走るくらい。
よく自分や自分以外の人間はみんな発狂していかないなあといつも本気で思う。
みんなきっと紙一重のところにいるんだろうけれど。
芥川龍之介が(あんまり覚えていないんだけど)このどうしようもない大きな不安を
「空にものすごく大きな真っ黒い旗がいつもばたばたとはためいている感じ」
(いや、実際にはもっとすごいいい表現で書いてあったんだけどさ・・・)
みたいに言っていて、それがいつもばたばたと「ある」ことに耐えられなくて
でも狂えないから自殺した。
やっぱりそんな人もいて。

「生きる」ことと「私」であること。
「必ず死ぬ」ということ。
もし、「私」が「私」でここに「生きて」いるのなら逃れられないことなんだな。
変なの。


2002.12.14

痛い痛いと言いつつも出かける。
サポーターをぐるりんちょ。いてて・・・
いづみが写真をやりたいと言うのでカメラを上堂そんさんに紹介してもらう為。
そしてまたカメラについて勉強する。
操作と、価値について。あと、距離系カメラと一眼レフの違いなどなど。
もう一回絞りとシャッタースピードについても聞く。
なんとなく分かってくる。
奥が深くて面白いなあ。
加藤さんと上堂そんさんの性格の違いも面白くていいなあ。
(加藤さんは理屈よりもとにかく撮って撮って!という感じ。
上堂そんさんは「カメラ」が好きで構造や理屈を知っていくのも好き。)
距離系カメラの小さいやつ、すごい可愛い!!
私も欲しいくらいだ〜。
こちらを借りて試してみることになった。
いいと思うよ〜、似合っていたしね。
とても喜んでくれたので痛くてひいひい言いながらも行ってよかった。
今度撮ったのを見せあおうと約束。


2002.12.13

でっかいくしゃみをしたら背骨が折れたかも。
手が上がらないし笑うと響いて痛い。
もうだめじゃん。
ぼろぼろだよ・・・くそう。
痛い・・・うう
いつまでもつんだろーこの身体。
足も両足痛くなってきたし。
やれることはやっておかんといかんな。


2002.12.12

今日は忙しかったなあ。
図書館へ行って、スタジオ38へ行ってTSUTAYAへ行ってセ−ユーへ行って帰って来た。
38の展示とてもよかった。
小さくて驚いた。
そして本原さんの合方の村松さんと初めてお会いする。
私はてっきり合方さんは男の人(置いてある機材がさ、男っぽかったからさ)だと思っていた!
大変な大間違いだわ・・・・
話していても食い違っている訳ではないのに何故か噛み合わない。
そりゃそうだ。
やっと繋がった。
このアトリエ・ギャラリーがどうして出来たかも分かった。
出かけることがあまりないので今日は張り切ってOM-1とライカを持って行った。
今日は初オリンパスを頑張ろう、カメラに慣れるぞう、と意気込む。
「こ、これはいいかもしれん・・・」と思えるシャッターが切れた。
そしてフィルム一本すべて撮れたので巻き戻す。手動なのでくるくると。
ばちっと音がなるので終わった?と思って空けてみたら何と!
途中でフィルムがぷっつり切れていた・・・・ショック!!
逆回りにしていなかったのが原因でした。とほほ・・・・
ぜんぶぱあだよーあー
でも気を取り直してライカで撮ろうとする。
露出計を出す。
電池が切れていた・・・・
もう、だめだめじゃん・・・・

でも出掛けていい作品に触れると創作意欲が湧く。
アイデアも生まれる。
いい事だ。


2002.12.11

お昼の海老ねぎスパはうまく出来た。
それにしても寒いなあ。
絵に集中できない。
ああ・・・


2002.12.10

さ、寒い・・・
起きていられない・・・
ガソリンアレーにおいてもらう(予定)絵を描いている。
また新しい感じになってきた
よけいわけがわからない感じ。
あー湯治に行きたい・・・
三ヶ月くらい。
いっそ温泉に住みたい・・・


2002.12.9

今日は非常に寒かった。殺人的。
家の中でも10℃なかった。寒い。
手足に血液が回っていないのがよくわかる。
猫は一日炬燵と餌場の往復。
日本のあちこちで雪が降っている。
白い、雪。
チョコレートが美味しく感じる。
何だか静か。

癌ってね、ウイルスとか他の物質によっておこされる病気ではなくて
自分の細胞が突然変異しておこる病気なのだそうだ。
「何か」が作用してそのようになってしまう。
おかしい事だ。自分の細胞なのに。
「生きたくない」と少しでも思ってしまうと、脳内とかから何だかの物質が排出されて
細胞を刺激し、変化させてしまうのではないかなーと考えたことがある。
それは無意識に思ったとしても正直に反応してさ。
それとかあんまり狭い所に動物がいすぎると共食いを始めるように、
肌とかでそれをキャッチしてさ、「多すぎるから自分いらないのでは?」とか思うとなるとか。
細胞分裂で日々細胞は増えていき、同じくらい死んでゆく。
では細胞分裂をし続けていれば不老不死になれるのか?
細胞分裂をし続ける細胞。それが癌細胞なんだと。
やはり不老不死なんて何かが「だめなんだ」と言っているのかな。
昔はこんなに多くなかったのかな。
ただ気が付かないだけだったのかな。
こんなに幸せだと言われている日本でね。食べ物もいっぱいあるのにね。
爆弾とか降ってこないのにね。
おかしいね。
生きるって不思議だな。

「人と別れたり、さよならすることより「会う」ということのなんと奇跡的なことだろう」
というメールが届いた。
会うということにはパワーが必要だ。
自分にも相手にもその気持ちがないと実現は難しい。
会うとそれ以上の新しいパワーを貰ったりする。
別にくだらない話しでいい。話しなんてなくてもいい。
ただ会いたい。
そんな気持ちがいかに大事か。
私には今本気で会いたいと思う人がどれくらいいるんだろう?
私に会いたい人はいるのだろうか?
私はその人達に何ができるのだろう?


2002.12.8

私はたぶん意味づけをするのが嫌いなのかもなと思う。
昔はそうではなかった。
どうして自分がそう思うのか、どうしてそう行動したのか
どうして世界はゆがんできたのか、いじめはどうしてあるのか、
戦争はどうしておこるのか、欲求ってなんだろう、
今よりも言語化して考えていたように思う。
「これはこうなったからこうなって、だからこうなってそして結果的にこうなった。」
そんなことを一番考えていたのは(当時は意識しないでやっていたことだったが)小学校とかの時だと思う。
私の学校は 意見を持たせるということに重点をおいたような教育方針だったように思う。
感情は大事にされなかった。
心地よい、不快ということは口にしたことがなかった。
そんなことは大事ではないと私自身の身体に染み付てしまった。
それが当たりまえなのだと思っていた。
炎天下の中での激しい運動の中でも水を飲むことさえ許されなかった。
そういえば、「快、不快、好き、嫌い」を考えるようになったのは私はひどく遅い気がする。
私は自分自身のことしか分からないから他の人のことまでは分からないが。
お習い教室というものにもよく通った。というよりも通わされた。
自発的にやりたいと言って始めたことは一つもなく、
「○○ちゃんがやっているから」「女の子にはピアノを習わせないと」
というような感じで、ペン習字、少林寺拳法、ミニバス、ピアノと知らない間にやることになっていた。
私は本当はフルートか、バレイ(踊る方の)がやりたかったが口に出すことはなかった。
というより自分がすることを自分で選択できることを知らなかった。
やることというのはすべて他から与えられるものだと思っていたのだ。
朝、学校に行くと、朝練という運動を毎日しなくてはならず1500メートルを必ず走らなければ
ならなかった。それから授業を受け、習い事に行くという生活だった。
毎日何かしらの習い事があって、休みの日もバスケットの試合などで潰れていたので休む間もなく
私の人生の中で一番「多忙」だった時期だったと思う。
何か「やるべきこと」がいつもあるのでそれをこなしてゆくに必死で
「自分」のことなど考える暇はなかったのだ。
いつもお腹を空かせていた。
食べても食べても消費カロリー+成長に必要なカロリーに追い付かないのだ。
そんな状態はある意味楽でもあった。
「自分について考える」ことをしなくてもよいからだ。
私はただ、感受性で世界を感じていた。
そしてそれはとても「楽」でもあった。
今までの人生の中で一番よかった時は?と聞かれたら
私は迷わずあの多忙でしかたなかった小学生の時だろうと言うと思う。
変かもしれないが確かにそうなのだ。
私は考えずに生活していた訳ではない。
ただその考えることが世界とか、世の中、死ぬこととはとかそういったものであって
「自分」ではなかった。
親は妹にも同じように習いごとをさせたが、妹はすぐに「さぼる」ようになった。
これは私の目からウロコを落とさせた。
「え?行かなくていいの?」という感じだ。
人間というものは「選択」ができる存在なのだということを初めて知ったのだ。
(しかし私の身体や脳にはもう快、不快よりも協調性とかそういった価値観が染み付いてしまって
いたのでこの時から数年はどうしようもないくらいもがき苦しむことになる)
これは非常に自分にとって利益のあることのように思える。
しかし同時に今まで考えたことのない領域のことにも頭を使わなくてはならない。
自分は一体何を望んでいるのだろう?
私の存在とは一体何だろう?
私はこれを望んでいるのだろうか?どうしたいんだろう?
どうなりたいんだろう?
どうしてこんなことをしなくてはいけないんだろう?
自分が大切だと思っていることが軽視されていると、どうしてだろう?
もしかして私の考え方が間違っているのかもしれない・・などとまた悩む。
本当はみんなきっと気が付いているのに。
大切なことがなんなのか。
簡単なことなのに。
自分が美味しく御飯を食べられるかとか、
家族に愛があるとか(間違った形になることも多いが)
自分に余裕があり、他者まで気が回すことができるようになるとか
たぶんそういったことなのに。
と私とかは「美談だ」と言われるようなことを思ってしまう。
(もちろん一筋縄ではいかないということも知っているが)
でも自分が間違っているとは思わない。
これは信じている。
意味を付けたりすると、それらしく聞こえる。
難しい言葉で話すと物事を知っているような感じはする。
でもそれは「本当」?本当に大切?
自分の言葉で語ってる?ほんとにそう思ってる?と思ってしまう。
話しをしている時もその会話の内容ももちろん聞くがそれよりもその人が「放つ」何かを聞きたいと思う。
言葉があやふやでも、何なのかよく分からなくても。
多分それが「感じる」ということなのだ、と思う。
「自分」とは何と不可思議なものなのだろうと思う。
なければどんなに楽だろうかとも思う。
でも私は今「自分」で「自分」を生きているのだ。


2002.12.7

今からハリポタ観に行くんだ。
映画館が私はものすごい好きなのだ。
映画よりもあの場所に行きたくていくんだなー
暗くなって映画が始まるぞーっていう時がたまらないのだ。

今日は本を読んでだらだらしてしまったなー
だめだなあ・・・ああ・・・
自分何を一番やりたいんだろー

どうして私にはおっぱいがあるんだー??


2002.12.6

変化の時期なのかなー


2002.12.5

少し前にみぞおちにできものができて、そしたらおでこにできて
今度は目にきた。
朝起きて最初に思ったのが「痛い・・・」
鏡を見ると右目が少し腫れていて、中にできものができている。
なんだこりゃ?と思う。目ってやっぱり神経がいっぱい通っているんだなあなどと思う。
痛いし、目は大事なので病院に行って診てもらう。
面倒臭い臭いが静岡まで行く。おぅおぅ。
「汗腺のところにばい菌が入ってしまったんだねー。これねえこのままにしておくと
大きくなってしまって、しこりになって残っちゃう場合があるんだよねー。
そうすると手術で取ったりとか。」
おいおい・・・速めに来て正解だったぜい・・・
何だか最近菌に感染しやすくなっている自分。
何だかすっきりしなくて、いつもだるい。身体は痛い。
抵抗力落ちてるなあ。(というか薬でおとしてあるんだけど)
でも、どないせいっちゅうねん!これ以上休んでばかりいたら脳みそ腐るよ!
ちょっとばかしへこんでいる精神状態がきっと一番いけないのだろうか?
うう〜っすらマイナスなんだよなあ。
分かってるんだけどね・・・
テンション上がらない・・・ふう。
何でもいいから計画を立てようかな。


2002.12.3

病院に行く。診察。
あまり変化なしだけど免疫抑制剤の使用を考えるかどうするかという話しになる。
結局私が決めなくてはならないことなのだが。
効き目があいまいなのに使いたくないというのが正直なところ。
これ以上科学物質を身体に入れたくないと思っている。
でも今の全く無理できない、いつ再発してもおかしくない、そんな状態でいるのもどうかとも思う。
決められないよ・・・
あー面倒だわ。
待ち合い室でずーっと大声で自分がそれだけ辛いかを喋っているおばちゃんがいて、私が呼ばれて
診察をして外に出たら、まだ同じ調子で喋っていた。
そして会計に行くと、また大声で職員に「こんな金が払えるか!!」と切れているおじさんがいた。
大声で訳が分からないことをまくしたてていたのだが、最後には笑いながら、
「どんなことを言おうと、どうしようと、おまえらが悪いのには変わりないんだからね〜」
というようなことを言って去っていった・・・・
うーん・・・何か溜まっていたのだろうか。
少し前ならもっと自分とその人物が被ってしまって、もっと辛かった。
でも、今も見たくないよ・・・・

そして!上堂そん(漢字が出ない)さんからカメラを受け取る。
わーい。嬉しい。
いろいろ説明を聞くが、分かったような、全く分からないような・・
使ってみて、出来上がったのを見て勉強するしかないな・・・
それからカメラ以外の今までの人生やこれからなどちょっと話す。
ちょっと人物が分かった気がした。
写真の見方もこれで変わるのかなー

どういうように、何を撮りたいのか、まだはっきりしない。
どう考えても趣味を抜けきれないところがある。
これから見えるかな。


2002.12.2

今日はビデオを見たり手紙を書いたりしていたら一日終わってしまった気がする。
恵子さんから貰ったラフォーレの案内を見ていたら何だか分からないが
展示、作品のインスピレーションがものすごく湧いた。
一応少しメモするが・・・できるか・・・
一気に湧いたので、よくわからないがイメージは残った。
写真と、絵と、空間と、物語りと・・・めちゃくちゃ。
でもはっきり見えたよ。
どうしようかー。
どうしようかなー。


2002.12.1

今日から12月だ。
だるさがすっきりとれない。
母校の展覧会に行ってきた。
駐車場が狭すぎて、守衛さんのような人もてんてこまいだった。
展示は懐かしいという思いと
十六とかの時と、やはり自分は変化していないようで
確実に変わったのだということを実感する。
感性なんて変わらないか、もっと鈍くなっているだろうと思っていた。
技術というものはやっていれば身についてくるものだ。
作品に多く接していれば、それなりに自分の中のレベルというものも変化する。
初めて描いたデッサンだって、その時はこれ以上ないくらいに描いたのだ。
でも少したって、また見ると、あまりにへたくそで恥ずかしいなんてもんではない。
人生はそういったことのくり返しなのかもしれない。

まおちゃんと久々に会った。
新しい制服が気に入らないと言い合う。
どこも混んでいるので海へ行った。
曇っていて、風が強い。
いろいろ話した。
数年前はここに毎日通っていたのにね。
制服も変わってしまうのにね。


2002.11.30

手が腫れていて痛いが、sensenciで映像会があったので昼寝をして体力を残して行く。
おばあちゃんのいもを持ってゆく。大好評。
(マッシュポテトにしようかと思ったがかぶっていたので持っていかなくてよかった)

映像会は作家の方のプロフィールと話しを映像をまじえて、あとラプンツェルの朗読。
印象的だったのが、
「童話の中のひどい母親像というものにすごく救われた」
と言っていたこと。
あと、糸、ひもというものにすごく惹かれていること。
こういう、なんでかわからないけど惹かれてしまうものって一体何だろう?
私にもそういうのあるのかなあ。
あると言えば「白黒」が落ち着くということだろうか。
色が入ってしまうとどうしても「救い」が感じられてしまうんだな。
それは私が望んではいないことのように思う。
突き放したいのかもしれない。自分は突き放されたいと思っているのかもしれない。
救いのない状態で見える何かこそが強く、信じられる光のような気がするんだ。

糸、ひもかあ。
縛って結ぶよね。あと切れるけど、だいたい「繋ぐ」ってイメージかな。
「子供の首とかコードで絞めそうになった」とか言ってたな・・・
今日の乾久子さんは創作がセラピーって感じに近かったのかなあ。


2002.11.29

GEISAI大学に出てから言葉というものとは一体なんだろうとか考えてしまっている。
私が言葉をあまり使えないのはきっと、「言葉」自体を分かってないからだ。
まだ4才児程度の頭なのだと思う。
「何故?」「○○って何?それってどういう意味?」
ボキャブラリーも極端に少ない。
この使える言葉にも本当に分かっていることがどれ程あるというのだろう。
私は昔世界を知っていると思っていた。
でも実際には何もかもを知ったかぶっているだけだった。
それを知った時、ショックだった。
あまりに恥ずかしい。死んでしまいそうに。
それがトラウマになっているのかもしれない。
今でもたくさんの言葉を吐いたあと、どうしてももう一度言った言葉を反復してしまい
そして必ず後悔する。
絵を見られない人でも、言葉なら読めたりする。
私は普段思いを伝える時に確かに言葉で「表現」する。
言葉は「強い」。
私には使えるだけの意志がないのかもしれない。
言ったことや書いたことから変化するのが恐い。
私は日々変化している。
そのことを分かっているはずなのに、嘘を言ったことになりそうで恐い。
いい加減だと思われるのがきっと恐いのだろう。
私はたえず変化しています。
それは絵と同じように。
だから言ったことが違っても仕方ない。
結局言葉言いたい人は言うんだよね。
書きたい人は書くだろうしさ。
それはトイレに行きたくなったら行くみたいなものに近いのではないのかな。
言葉の大事さを考えても、やはり自分からすすんでやろうと思えないもん。
私はもしコミュニケーションをするとしたらさ、
態度とか空気とか雰囲気とか体温とか表情とかを重視してしまう方なのだ。
何度考えても、やっぱりそうなのだ。

どうして向日葵?
って聞かれた時に、うまく答えられなくて向日葵の形状は描きやすいからというのを
説明してしまった。
本当は、理由なんてなくてただ向日葵が描きたくて描いていたというのが正しくて
他の理由を考えたなら
「あなたは向日葵のイメージだね」と花束を貰ったことが関係しているのかもしれない。
昔は花なんて美しいと思ったことはなくて(今はどうだろう)
そこにあるだけで認められている花を「ずるい」と思っていた気がする。
そんなことが微妙に絡まりあってきっとああいう絵になったのだと思う。
それも確信ではない。
私にも分からないからだ。
分からなくていいと思っている。絵がすべてなのだと思う。
意味をつけることにわたしは欲求が湧かない。
でもつけようと思えばいくらだってつけられるのだ。
それもうまく説明できない。
なんともどかしい!


2002.11.28

私はイメージをする。
例えば「死」というもの。
それは私の中でもうどうにも表せないくらい巨大で暗く恐ろしく遠いものだった。
私はイメージをする。
例えば「愛」というもの。
それは私の中でどうにも表せないくらい大きく温かく甘く切なく悲しく愛おしく狂おしいものだった。
私のイメージは大きい。
人の脳は創造できないひどいことも素晴らしいことも想像出来てしまう。
なんて悲しく素晴らしいことなのだろう。
祖父が死に、飼っていた犬も車に引かれ死んだ。
それは「死」のはずなのに、私のイメージの「死」とは違った。
私は自分の身近でそんなことがおこったら気が狂うと本当に思っていたのだ。
でも私はこうして御飯を食べ、笑い、悩みながらちゃんと生きている。
私は「愛」に飢えていたように思う。
私は愛されていたし私も愛していた。
それを知っていた。
イメージとの差を飢えと感じていた。
それが分からなかった。

狂える人はある意味素直な人なのだろう。と兄は言った。
狂ってたら病気にならなかったかな。と私は言った。
私は狂うことも、社会から外れることもしなかったら身体が病気になった。
それにすら気がつけなかった。
たぶん気が付かないふりをしていた。
それを自分で分かっていた。
病気になったら一線が引けて楽だった。
それを望んでいた。
あなたはとてもクールだね。と友人は言った。
そうかもしれない。わからない。
だからこうして暮らしてゆけているのかもしれない。
こんなに世界は美しく、こんなに愛しているのに
こんなにも絶望している。
どうにもならない。
でも生きる。
それしかできない。
それが私だ。