2006.12.31
この一年を振り返ってみたり。
何度も書いているように思うが
とにかく振り幅が大きい年だった。
いいことも悪いことも。
体方面では最悪状態も経験して
それにつれて精神的にもやばくなって
自分がどこがどう弱いのかが
そうなった時にどうすればいいのか
浮き彫りになった感じで
それは勉強になった。
私ははっきりつきつけられないと
自分のことは気がつけない人なんだ
というのもまた痛感したり。
大事な人がさらに大事になったり。
表現をするということに関しても
自分がどうありたいのか
何が大事なのか
何ができないのかなどを
いろんな人と接したり
人前に出たりしたことで
考えるいい機会はたくさんあった。
その時は辛かったが
経験で人は成長するしかないのかもしれない。
いい意味でいろいろとふっきれた年だった。
新年とともに環境を変えて
考え方も新たに
スタートしたいと思っています。
みなさまよい年越を!
来年もよろしくお願いします。
2006.12.30
何だかのんびり過ぎている。
年末。
2006.12.29
妹の成人式の写真がものすごくひどいものだったので
撮り直しを加藤さんに頼んで写真を撮ってもらう。
朝からてんてこまいで着替えて支度をして出かける。
私も着物を着る。
着物はとても好きなのだが
着物は着るだけで体力がいる。
歩くのも大変だ。
重たいのに温かくないし。
これで生活していたなんて昔の人って体力あるよなあ。
(あと股関節が脱臼しやすい体勢になりやすいから
あんまり私向きではないのだが)
フィルムを現像したのを受け取る。
ここ数年?の写真達。
懐かしい顔とか。
だけどネガを見ただけではまだ写真の善し悪しがわからない。
修行が足りない。
自分で現像をやろうと思う。
暗室作るさ。
2006.12.28
病院。
診察室に入るなり先生が
「僕移動になるんだよ〜。
あとここの科もなくなる。」
と言われ、一瞬意味がわからない。
移動はいつかはあるだろうと予想していたので
仕方がないことだとは思うけど
科がなくなるってどういうこと?
これだけリウマチ膠原病科に患者がいるのに?
後任の医者は常勤ではなくていわゆるパートのような感じで
週一回通いになるらしい。
以前も週一で通いの先生だった時があったんだけど、
何かあった場合にその曜日以外では見られる先生がいなくて
緊急の場合とか本当に困ったんだよね。
しかもその通いの先生は専門医じゃなかったから
質問しても「僕専門じゃないんだよね・・」とか言われるし。
(それ以前は血液系の医者、本当は白血病とかが専門の先生が
無理矢理膠原病の人とかも見ててあれもどうかと思ったが)
やっと常勤の先生が来てくれて、科もやっとできて
すごく安心して頼りにしていたのに。。
「だから変わりの病院を探して欲しい」ということを言われる。
紹介された総合病院も専門医は常勤じゃないっていうし
クリニックは何かあった時に入院とかできないし
私は足も悪いので整形などともやっぱり連係して診て欲しいし・・
(同じ病院内でも連係ってあんまりしてないことは知っているが)
遠くの病院だと何かあった時に大変だし。
ああどうすればいいんだろう。
「僕も結局転勤族なんだよ。」
それはわかっているんだけど
常勤の専門医を変わりに探してから出て行くのが
普通じゃないのか?
それって誰が探すの?院長?人事やる人?
本気で探したの?
そんなに医者っていないの?
自分以外にも、病気のことを診てもらえる先生がいなくて
ここを紹介されて専門の先生にやっと診てもらえる
(それまではとんちんかんな治療をされていた人も多い)
と喜んでいた人を何人も知っている。
この科だけで500人以上の患者がいるのだ。
それなのに科を無くすという。
患者がいるのに。必要としているのに。
医療って何?
私は病院のシステムのことも
医療の現場のこともよくわからない。
医者の転勤を誰が何の目的で決めるのかも知らない。
自分が診てきた患者を残して
行かなくてはならない医者の気持ちもわからない。
だけど何かが大きく間違っている。
それだけはよくわかる。
病気のことでもいろいろとあるのに
これ以上ストレスを増やさないでよ。
ああ、またこの感じだ・・・
間違っていることが確実にわかっているのに
なにもできない感じ。
そういう大きなシステムに飲まれざるをえない世界。
ふがいない。
やるせない。
怒り。
悲しみ。
深いいきどおり。。。
2006.12.25
メリークリスマス。
昔は赤色と緑色とジングルベ〜ルってだけで
あんなに心踊っていたのに。
全くと言っていいほどときめきがない・・・。
盛り上げって自分でしなくちゃいけないんだろうけれど
その気が全然ないんだろうなあ。
ちょっと淋しいような。。。
今年は特にまだ年末という感じがしない。
忙しくしていないのだから
もっと季節らしいものとか感じれるように思うのだけれど。
そういう大事にしないといけないものが
どんどん失われているように感じる。
なんかどうでもいいや・・と思ってしまういけない?自分。
普通に家で生きてればそれできっと
すごい幸せなことなんだし。
キラキラを感じたいんだけどねえ。
2006.12.24
大掃除。
モモちゃんとはじちゃんとタイ料理。
ルノーへ行って
駿府博物館で石田徹也展。
夜は日曜美術館で石田徹也の人生を見る。
きっと「作家」としてだけで生き抜いてしまった人なんだろうな。
昔自分はこうなりたかったというような人生みたいな感じ。
突き詰め方ってあると思うけれど
あまりにストレートだど
この世界では生きていけない。
飲まれてしまう。
それでもいいとも思うけれど。
彼の絵は引き付けられるけど好きにはなれない。
私の求めるものはもうそこにはない。
2006.12.22
年賀状を書く。
インクジェットの葉書なのに
消しゴムはんこで版画。
面白いねえ・・・
正月早々おどろおどろしい感じに仕上がる。
宛名と自分の住所、一言添えるのを
手書きしたので疲れた。
2006.12.20
ちょっとは綺麗にして年末年始誕生日を迎えようと思い
美容院へ行く。
私は美容院に行くのが苦手だ。
嫌いではないのだが。
楽しく行ける人はきっとオシャレさんなんだろうなあ。
あの会話が苦手なのだ・・・たぶん。
今日シャンプーをしたアシスタントの人は
「今日これからどちらに行かれるんですかー?」
と3回聞いてきた。
さっきも聞いたよ・・・と思いつつ
「別に予定はないです・・」とそのつど真面目に答える自分。
2006.12.18
文子とデート。
結婚式のスピーチを頼まれる・・
しかも数回しかも数分しか会ったことのない旦那の方から。
何故に?
ああ・・また泣いてしまうよ・・
お菓子を食べながらだらだらと喋る。
四時間くらい喋りっぱなし。
楽しかった。
2006.12.17
お昼はいつののメンバーでタイ料理。
それから加藤さんの家に行く。
カメラの話しや写真の話しをする。
私はちょっと難しい話(カメラの構造とか機能とかの話)
になると「??」という顔になる。
いろいろと話しをして『とにかく勉強が必要である』ということだ。
せっかくいいカメラがあるんだから使えるようになりたいし。
早速帰り道にカメラのキタムラに行き、
動かなくなっている露出計の電池を買っていれてみる。
が、やはり表示が狂っているので修理するか
他の感度で調節するとかしなくてはならないようだ。
OMシリーズのマクロレンズが欲しいなあと言っていたら
あった。でも7万円・・・買えない。
帰り道に「ねえ、そう言えば加藤さんに手みやげとか渡した?」と聞かれ
「・・・わ、渡してない・・・」
作品を二年以上も預かってもらい
いつもフィルムの現像を頼み
美味しいケーキまで頂き
「洋式のトイレをかして下さい」と家にまでお邪魔して
飼い猫に萌えて
新しいフィルムをまた頼んで
「なるべく早いと嬉しいです」とまで言っておいて・・・
私って・・何様?
全く関係なくて
前々から思っていたのだが
野球の松坂選手と
次長課長の河本という人と
私は顔が似ている。と思う。
2006.12.16
エエラボのアトリエの掃除を手伝って
そのまま忘年会。
焼肉。肉。肉。
二次会カラオケ。
あだっちと歌った
「あかおにとあおおにのタンゴ」
がよかった。
2006.12.15
朝からニュースの特集で人工関節についての
最新医療(MIS)についてやっている。
手術の場面を見て
ああ私もこうだったんだと思い
そして術後の後の地獄のような数日を思い出し
(高熱は下がらないし胸は痛くて息も苦しくて
手術した数時間後にCTだレントゲンだを
強い痛み止めで意識が半分ない状態で
体とか管だらけなのに動き回されるし
貧血の上に出血をして血が足りない状態で
酸素マスクはめられたら過呼吸起こして
気が狂いそうになってベットのうえで暴れるし
ええ、そりゃあもう地獄絵ですよ・・・)
気持ち悪くなる・・・おえ。
父と「これってもう大工仕事みたいなもんだから
頭の善し悪しではなくて手先の器用さだよねー」
というようなことを話しながら見る。
術後の患者さんは元気に歩いていて全く痛くないとか言っている。
・・・ちょっと待ってくれ、私はまだ痛いんだけど。
手術した方の足に体重をかけると「ツン」となるし
やっと最近左側を下に横になれるようになったばかりで
それもまだ少し痛いんだが
これはおかしいことなのかなあ・・・
あれだけばっくり切ってがんがんごんごんやったのだから
これくらいは仕方ないのかなあ・・・
リハビリやってるけど筋肉がついた感じがあまりないから
それがいけないのかなあ・・・
スポーツ選手とかで術後も運動をしている人を見たりすると
ああ私はまだ車椅子に乗ったりして
甘えているだけなのかな・・でも右側も痛いしな・・・
またいつか同じような手術しなきゃいけないんだけど
あの地獄(同じ手術をしても問題なくいく人はあんなに苦しい思いはしません)
を味わってしまったのでもう怖くてやりたくないんだよね・・
といろいろ考えてなんだか落ち込む。
しょびーん。
2006.12.13
亀シャツ(亀ちゃんをイメージしながら描いたら
何故だかインチキマジシャン風になってしまった)にアイロンをかける。
私はアイロンがけがへたくそだ。
Tシャツやハンカチなど二次元のものだったらよいのだが
シャツ・・は三次元だから難しい。
表に当てていてもついでに裏まで当たっていて
変なところに皺ができたりする。
くしゃくしゃ動かしながらやっていると
なんだか全体にふにゃりとした仕上がり。
パリっとかけられる人は本当に尊敬する。
ここのところ毎日、山から「バン!」という音が
何分かおきに一日中響いている。
朝7時くらいから。
運動会の時とかにあがる花火(なのだろうか?)くらいの音。
忘れているといきなり響く。
みかんを猪や猿、カラスなどの鳥達から守る為なんだけど。
ガスボンベみたいなのを使って音を鳴らしているらしい。
臆病な私は「ボンベに引火して大爆発・・」
とか考えている。
犬も猫も何だか落ち着かない。
2006.12.12
亀ちゃんのシャツを描く。
途中あると思っていた絵の具がなくて焦る。
疲れたので途中だがやめる。
続きは明日。
リハビリやらなきゃあなあと思い
冷たい床に寝転がってやっていたら
お腹が痛くなってきたので
急いで下に布を敷くもすでに遅く
激しくお腹を壊す。
痛いので「ノロウイルスだったらどうしよう」
という気持ちになるが
全身症状はなくてお腹だけなので
大丈夫だと思う。
たぶん。
それにしても寒い。
2006.12.11
あまり眠くはなかったのだが
「眠りたい」と思ったので午前中は眠っていた。
午後は読書。
食べ物って大事だよねというような本だったので
影響されて料理をする。
貧血ぎみなのでレバーをパテにして
ごぼうの酢煮物、野菜と豆腐のスープ。
パンにパテをたくさん乗せて食べたら胃がもたれた・・・
2006.12.10
CAVEに乾さんのライブペイントを見に行く。
私の時と同様に壁に直接、オイルバーでガンガン描いていった。
イタキの即興演奏とのコラボだったのだけれど
「止め時とかどうするんだろうか・・」と少し思いながら見ていた。
乾さんも初めての体験だったようだが
その「良さ」を感じているのが見ていてもわかった。
はじめちゃんが
「音楽は絵にはできないけど、絵は音楽になるなあ」と言っていた。
確かにオイルバーを壁に打ち付けるリズムがあって
それは絵を表しているんだけれども
同時に作者の生きるリズムでもあって
全体として「表現になる」というか・・・
うーんうまく言えないけれども。
CAVEはどんどん進化していて
本当に面白く、いいギャラリーだと思う。
「箱」を提供するだけではなく
「空間」としてのオーラが出てきた感じ。
個展をやってやるぅ・・と目論む私である。
帰り道日本坂パーキングエリアで夕飯を食べる。
下りのパーキングエリアには何度も言っていて
その良さ(安くて美味しい)を知っていたのだけれど
上りは初めてでどうだろうと思っていたのだが。
魚介がとても充実していた!
寿司セット880円、ネギトロ丼が680円、海鮮丼1000円とか。
2006.12.7
区役所に行って手続きなど。
ドリプラへ行って買い物をして
(新しくなっていたけど良くなかった。
高級なスーパー?がついたって感じ。
どうにかしようとしているのはわかるが
どうしたいという意志が全く見えない。
そういう場合大抵のことはうまくいかない。
だけどマグロ寿司セット1500円はとても魅力ありだったな。)
図書館に行って本を借りる。など。
昨日日記を書いた後から考えていて
医療の文句ばかり書いているように思うし
実際そうなのだが
ちゃんと感謝もしているのですよ。
文句ばかり言ってたらいけないよな・・・
言っちゃうんだけどさ。
・・・言えないからここに書いているんだよね。
根暗〜!
あと私は医者を好きになる確立が高いのだけど。
だからと言ってどうにかなろうとかそういうんではないのだが。
弱っている時(これがまずい)に優しく接してくれるし
話しは聞いてくれるし、何だかんだ言って頼っているし
毎日顔を診に来てくれて「どう?調子は?」とか
「自分のことを気にかけてくれている」感じがすると
この人私のこと好きなんじゃないのか?という気持ちになる。
実際はそんなことはないし何百人に同じように接しているのだし
むこうはそれが「仕事」なのだからやって当り前と言えば当たり前なのかもしれないけど。
言いたいこと言えないのはそのせいなのか?
とかたまに思うしきっとそうだと思う。
だから私はホステスさんとかに本気で惚れてしまう
おじさま達の気持ちはわかるような気がする。
「医者と患者」ってまた少し違うんだろうが。
私が男だったらきっと看護師さんにめろめろなのだろうか?
ん?ただの白衣好き?フェチ?
でも全く引かれない人もたくさんいるので
そうなると「その人」がやはり好みなのだろうか。
・・・とどうしてこんなことを考えているかというと
『こんなに入退院をくり返すのは
もしかしたらこの「患者と医者」という状態が
自分でも気がついていないだけで
本当はすごーく欲していて
それで病院と離れられなくなっている
のだとしたらどどどどうしよう・・・・』
とか思ったからなのだった。
でもまあそれはないな。
優しくされたら好きになるって標準??
あれ?違うの?
まあいいや。
若い看護師さん(女)がパンティが透けたおしりを
ぷりぷりさせながら仕事をしているのを見て
「・・・いいねえ・・・」と思っていたのを
今思い出した。
ああ私はおじさんだ。
2006.12.6
股関節の手術をして一週間で退院したという話しを聞き
ああ私のあの苦労って何だったのだろうとか考えてしまう。
薬の調節とか忘れられてて大変なことになったことを
「あれは医療ミスだよ」と人からはっきり言われ
やっぱりそうだよね・・・と思う。
一応ね、聞いたんだよ私も。
「薬の調節したのだれですか?」って。
内科の先生はね「僕じゃない。整形の先生に聞いて。」
整形の先生に聞くとね「内科の先生じゃないの?」
もう怒る気もしませんでしたというよりも
熱や不安発作でそれどころでない状態になっちゃっててさ。
体が良くなる(と言っても元気な訳じゃないんだけど)と
もおいいや・・と思ってしまうんだよね。
また掘り返すのもなあ・・・
この先まだこの先生にお世話になるしなあ・・
とかいろんなことを考えたりしてしまう。
これが私のものすごく悪いところなんだろうな。
十年以上「医療」というものとつき合ってきて
期待するだけ無駄なんだと思ってしまうようになっている。
発病した当時から「ダメだこりゃ」という面を
何度も経験してしまうと、怒る気にもなれない。
でもたぶん私は我慢しているだけだって
「実は相当怒っている」のだ。
自分が我慢すればいいや・・ということになる。
いけないねえ。
患者が怒ってあげないと医者も成長できないんだけどね。
(カチンとくることを言われても
ああこの先生は私と同じような状態の人に
また同じことを言って嫌な気持ちにさせるんだろうなあ
誰か怒ってあげればわかるんだろうなあ。
でも私はしないんだなあ。とか考えているのだ)
私は自分の思ったことを素直に言えないし
人と話すのも苦手だし憶病者だし嫌われたくないし
怒ったり、怒られたりが恐怖なのだ。
そして最近気がついたのが
「諦め屋」だということ。
自分の体について一生懸命じゃないことや
人間関係でもそういった部分が大きいのでは?
つまりは面倒くさいのだろうなあ。
頑張れない分野なんだろうなあ。
というか言いたいこと言える人は
この病気ならないし絵とか描かないよね・・。
つまりはまあ全部自分次第ってことか。
昨日読んだ本に、
「自分の体が病気になったのにそれ以前と
生活を変えない人の意味がわからない」
というようなことが書いてあって、ちょっと目からうろこ。
私はそんな当り前なこともわからないのだなあ。
「死ぬまで自分でご飯を食べて排せつをしてという
一定の健康を維持するのは生き物としての義務」
というようなことも書いてあったな・・。
2006.12.1
気がつけばもう12月。今年最後の月。
怒濤の一年だった・・・
いいことも悪いことも幅が広かったなあ。
(大抵のものごとはそういうふうに起こるらしい)
秋が終わって冬が来て・・
いい時期にいろいろな所へ行った。
こんなに行動した時は人生でも初めてかもしれない。
10月1日に納車した我家(母の)車の走行距離がすでに
5500キロ。青森に行ったのが大きいね。
長野に行ったし名古屋に行ったし、
数日前には神奈川の三崎。
一人で帰ってきて・・それはそれは危険な旅でしたよ。
逆走するし(二回も)・・静岡帰りたいのに首都高乗りそうになるしさ・・
でも無事に!生きて!帰ってこられたのです。
隣の県なのに帰ってくるのに5時間近くかかりましたがね。
あとはぼおっと過ごしている。
絵も一枚描いたけど、何か違うなあと思い
それは絵が違うというよりも
「時期」みたいなものがずれているというか。
言い訳して休んでいると言ってしまえばそれまでなんだけど。
指もまだ膿んで治ってないしさ!とか言って。
(いい加減なんとかならんか。皮膚科の先生に同情までされちゃったよ。)
夏に骨をぼっこり切り取って
それと一緒に何かが取れたのかしらん?
などと思ってみたり。
先日ふっとお風呂に入っている時に
ああ私今一人でお風呂に入っている・・・
と思った。
病院でシャワーを浴びるのにずっと母に手伝ってもらって
自分で下着をつけるのもままならない(足に体重をかけられないから)
ああ私はいつ一人でお風呂に入れるようになるんだろう・・・
と湯気の中で思った記憶が蘇ったのだ。
退院直後の状態からも自分では気がついていないが
どんどんと回復しているのだろうな。
毎日リハビリをやらなくても気にならなくなったし。
手術前の状態に近くなってきているんだろう。
体は元に戻ろうとする。
その力のすごさよ。
誰か数カ月前のめちゃくちゃな状態の私に
今の私を見せてやって欲しい。
ちゃんと回復するから大丈夫だよと言ってやりたくて仕方がない。
(耳を貸すかは不明)
精神的に不安定になることもあるが(これには参るね)
これも私の人生なのだろうと思うようにするしかないな。
失ったものがあるのが確実にわかるけど
それはもう狂おしい程に愛おしくて大事で
命を賭けていたと言ってもいい
もう一度手にしたいとは思わない
欲しいと思っていたものが
どうでもよくなったら
手の中にあったような?
自分の足下ばかり見ていて
気がついたら目的地にいたような?
何だかよくわからないが
あれ?
あれ?
という感じ
悪い方向にいっている感じはないので
まあ今のところ大丈夫だろう
たぶん
創作はどんな形であれ続けていくように思うが
それを発表したりとか
そんなオプション的なもの??は
しばらく辞めようかと思っている。
辞めようかというか・・うまく言えないが。
(そんなこといいながらやったりするんだよね〜)
もう少し純粋に創作を楽しみたいという気持ち。
それじゃあただの趣味じゃんと言われても
反論する気はない。
ただ気持ちの問題なのだ。
今どんどん出てくるイメージを今の自分の力量では
描けないのがわかっているので
勉強したいというのもあるのよ。真面目だよなあ。
今までどれだけ自分を縛りつけていて
それを自分でもきがつかず
少し心地よくも思っていて
だけれどももう限界で
ああ、やっととれた・・・
という感じがしているので
作風は変わってしまうだろうけれど
そんなのにしがみついていた時点でダメなので
悲しく嬉しく前に進むのだ。
今の私にとって何が一番大事なのか
それは「私」という器に
自分が帰ってくることだ。
はみだしぎみの自分をしっくりと
この世界に存在させてあげるのが
私の使命であるのではなかろうか?
それはこの命を死ぬまで生きさせることであって
人生ってそこからだろうみたいな。
大袈裟なことではなく
きちんと「生活」をできるようになりたいのだ。
人として生きたい。
作品に生かされるのではなく。
作家としてはマイナスなのかもしれないが
そんなことはもうどうでもいいのだ。
どうしてだかわからないが
やっと世界が見えてきた感じだ。
人生で初めて「休んで」いる
そんな気がする。