12月14日(月)

先週末に病院に行ってきた。
腰の痛みがどんどんと増してきて
(あの起きる度に痛みが増していく恐ろしさよ)
トイレに立つのもやっとという状態になってしまったからだ。
仕方なく整形外科のある総合病院へ。
人、人、人・・・
洗濯機の中に放り込まれたようだ。
よく通っていたものだなあ。
内科のところはインフルエンザが怖いので息を止めて歩く。

レントゲンを撮って
(これがまた大変だった・・台に乗ったり靴を履いたりとかが)
若い先生の診察。

「レントゲンではわからないけれど、たぶんあなたの言っている
症状から推測すると圧迫骨折の可能性が高いと思う。以前も背骨
の圧迫骨折をやっているし、薬の量も多いので自分の体重で骨が
潰されてしまったのかもしれません。腰が痛いとのことで、ヘル
ニアの場合は足が痛くなる人が多いんですよ。どちらの場合もMRI
で検査してみなければはっきりしたことは言えないけれど、どち
らにせよ治療方法は変わらなくて、コルセットと痛み止めと湿布
になります。ヘルニアの場合はひどい場合は手術も考えられるけ
れども。圧迫骨折だったら2週間くらいで痛みは引くはずです。
どうしますか?MRI撮りますか?経過をみますか?」

「経過をみます。2週間経っても痛いようだったら検査します。」

(今回の先生も忙しそうだったなあ。
別に嫌な対応ではなかったんだけれど。
ちゃんと質問にも面倒くさがらずに答えてくれたり。
でも頭の向こうにいろいろとやらなければならないことが見えるっていうか
私のことをちゃんと診察はしているんだけれど・・。
一言で言うとせかせかしてたね。それで、それを見せまいと頑張ってた。
お医者さんは大変だー)

ということで痛み止めをもらって帰ってきたのだ。
粗大生ゴミのように過ごしていた。

何日か経って、だんだんと痛みが和らいでいるような感じがする。
痛さの最中の時は気分もどん底で
「自分はいらない人間なんだ」
「痛くなくなるまで幽体離脱したい」と本気で思うのだが
(神様のような人が杖の先で私をぐいぐい押しながら
「まだ生きるのか?それでもまだ生きるのか?
自分の体も支えられないおまえが
子供を産んで育てられると思っているのか?オラオラオラオラ」
みたいなイメージね)

回復してくると徐々に気分も良くなっていっているのが
本当に手に取るようにわかる。
人はとてもシンプルにできているのだ。
今こうやって日記を書こうという気持ちになっているのが証拠だ。

もうしばらく安静生活です。


12月8日(月)

もろもろの祝いではじちゃんが椅子を買ってくれた。
前傾姿勢がとれるということでアーロンチェアー☆

ずっと椅子が悪いなあ・・とぼやいていて
彼が今年は勉強の為に私の机に座ることが多く
「この椅子はよくないね」と実感したようだった。
正直見た目と素材はあんまり好きじゃないのだが・・
(それははじちゃんもわかっていて
私の好きなのは木でできたシンプルなやつなのさ。森ガ〜ル)
長時間座っていることを考えると
人間力学?構造学?に乗っ取って作られたものの方がいいだろうと。
確かに座った時にいい姿勢になる。
そして何故か腰が痛い・・・
今迄の悪い姿勢のくせがついているからだろうか・・うーむ。
最近腰を痛めていたのでその再発か??
腰から腹に長い針を突き通したような痛みなので
もしやヘルニアかしら・・とびくびくしている。

たぶん体がそんな調子だからだと思うのだが
少し憂鬱気味で
やる気が起きずに
燃え尽きちゃったのかな・・
もう絵が描けなくなっちゃったんじゃないか・・
外に出るのも嫌になってしまったのだろうか・・
などと思い、時間が経っていく。

家仕事をぼちぼちやる。
ああ、プランタに生えてる雑草を抜かないとなあ。
ネギにアブラムシみたいなのが付いてるので木酢液をかけるんだった。
夏に起こした天然酵母、まだ使えるかなあ、パン作ろうかな。
そろそろ作った石鹸が出来上がっているはずだし。
新しい棚が欲しいな。
エアロバイクでも手に入れて体力つけなきゃな。
いらないものも一度本当に整理したいな。
借りて来た映画もどんどん観ていかないと。
穴の空いた靴下繕ったらまだ履けるかなあ。
今日の夕飯何がいいかな。

そんなこんなでおじいちゃんから
無農薬の柚子をいっぱいもらったので
痛む前にジャムにしようと思って
頑張って作ったのに失敗してしまった・・・苦い。。
しょびーん
どうすんだこのでかい瓶いっぱい・・
もう一度、新しく煮返せば苦みは取れるか?

家事はやろうと思ったらいくらでもやることはあるし
いくらでも手を抜くこともできる。外の仕事も同じ。byはじめ

家仕事は好きだ。ずっとやっててもいい。
今年は梅干しがすごくうまくできた。
貰った大根と白菜も美味しくキムチにできた。
洗濯も、料理もたまに面倒で、調子が悪い時は大変だが
こつこつとやっていると
「ちゃんと生きている」感がある。

自分でやりたくてもできない、動けない
もどかしさや苦しさの時期が多々あったので
そういう当たり前のことができるというのは
私にとって一つの生きてる基準のようなものだ。


先日、はじちゃんのおばあちゃんを訪ねて来た。
帰り道はじちゃんが「おばあちゃん年取ったなあ・・」
とぽつりと言った。
未来のことはどうなるのかはわからないけれど
両親、そして自分自身も確実に年を取っていっているんだね。
それだけは変えられなくて。

雨の次の日だったので空気が澄んでいて
雲も一つもない眩しい一日で
夕日がきれいな中、田舎道を車で走りながら
家族ってもののこれまでと
そしてこれからと、
そんなもののことを思った。
具体的にどうこうではなくて
ただ、大事にしたいなあ・・しなくちゃなあ・・と思ったのだ。


12月3日(木)

フォイルでの展示が無事に終わった・・

気がついたら12月になっていた。
もう年末だあ。

今年は結婚して、初めて海外旅行に行って、
本も出して、展示もできた。
人生で一番充実した一年だったと思う。

スピード感というものはなくて
ただたんたんと毎日を積み重ねていた結果ではあるのだけれど。
いろんな人と関わったという点でいつもと違う年なのかもしれない。

今までやってきたことが全て繋がってここへ来たのだけれど
こうなることはわかっていたような感じ。
自分の人生がすごく客観的に見える。
不思議なような、当たり前のような・・

図工の時間に夢中になっていた時間の延長を求めているのかなあ。

でも遊びとは違って・・うまく言えないけれど。
心持ちはお仕事というか・・でもそれに捕われずに・・

表現って何だろうねえ。

私のようなことをしていると
いろんな「表現」をいわゆる具体的にしている人たちと会う。
絵だったり、詩だったり、ダンスだったり、歌だったり・・

でも、私は「生きていることがすでに表現」と思っているので
何をしている人でも「表現者」なんだな。
だから、絵を描いているからどうのこうのではないんだけど。
生きてりゃいいじゃん、みたいな。

絵を描くのは「特別」な感じが自分にもあるけれど
(あの何とも言えない大きいものに触れてる感じ
自分がなくなる感じ、連れて行かれる感じ、
あれはなんなんだろうなあ。
その感じを知っているから続けているだろうけど)
それでなければ!私でなければ!
というのは実はそんなになかったりする。
前はその絵に持っていかれる感じがずっと欲しくて
やりすぎてやりすぎて入院・・というパターンのくり返しだったけれど
ある時「ああこのままいくと死ぬな」と気がついて
私は生きる道を選んだのだ。
そうやって絵を描くことに取り憑かれていきすぎてしまう人もきっと多いのだろうな。
そっちの世界もすごくいいんだけどね・・
やっぱり生きられないんだよ、絵の世界だけでは。
いつでもそっちにいけちゃうからやっぱりいつもギリギリだけど。
そんなのもみんな同じなわけで。


絵が上手な人はいーーーっぱいいるのだよ。
すごい作品を作っている人もたっくさんいる。
でも世間的に認められて、自活できるかというのは別。
本人がどう生きて、どう作品を作っていきたいのかによるし、
時代性も関係するし、運もある。

作ることが好きなので、作っていられればきっと何でもいいのかなあ。
伝統工芸とか、服とか、アクセサリーとか、カフェとかで空間を作って
食べ物を食べてもらうとか・・
どれも、いいねえいいねえと思う。
実際元気だったら絵でなくて他のことをやっていたように思ったりもする。
そんな感じだからいいのかも。

だからと言って、絵に真剣に取り組んでいないのかというと
全く反対で、これ以上ないくらいに、いつも襟を正してというか、
シャンと向き合ってる。
毎日真剣勝負。

どこに絵を持っていくのかとか、
誰に絵を見せればいいのかとか、
全然わからないなりにも、自分で考えて
止まらずに(結構がむしゃらに)行動してきたのだ。
大変なことも嫌なこともあったし
とんちんかんなこともしていたかもしれない。
でも展示はいつもその時できることで一番なものをやってきた。
一つ一つ経験していくしかなかったし
そんなもんだと思っていた。
ただ展示をすれば何かしらの手応えはいつも感じていて、
それで次へ繋がったりだとか
少しづつだけれど確実に前に進んでいるのがわかったから続けていた。

同じことのくり返しにならないように
そこでやりきったなら
展示を頼まれても断ることもしなくてはならないことも知った。

「いい作品が作れればそれでいい」
と私は思わない。
それでは趣味になってしまう。
ちゃんと生活できるくらいのお金は欲しい。
そのへんはすごくクールです。
(お金のことを一番考えなくていいのは
ある程度お金があるようにしておくことだ)

今は結婚して金銭的な心配はなくなった。
愛情の心配?もなくなった。(これはもとからそんなにないが)
それによって余裕がうまれて、
以前のキリキリした作品から、
「抜けた」ものになったと自分でも思う。
いいか悪いかは別で、そういうものだ。
生きて行くということは変化することでもあるのだ。

体も変わってきているし、
考え方(最近は考えないねー)感じ方、
大事なもの、描きたいもの・・
どんどん変わってしまう。
変わっていくのが怖かったけれど、もうそんなに怖くなくなった。
本当に大切なものはきっと変わらない。

なるようにしかならない。
私は前を見てちゃんと生きるだけ。
あー何だかもじょもじょいっぱい書いたけど
来年は全然違う思いになったりしてね〜。