2010年7月21日


梅雨が明け、夏が来た。

生きるということと
死ということが
どっちも同じくらいに
強烈に迫って来る。
裏表。それで一体。どちらも同じ。

楽しさと悲しさと寂しさ・・
混ざって混ざって
死というものでさえ
甘美なものに思われるような。

開放的な光と
泣きたくなるような夕暮れに
どこかに連れていかれそうだ。

ふと振り向いたら
この夏に
私は何を思うだろう。


2010年7月5日


妹から電話がかかってくる。

小学校の時の話しになって、
「今思い出した。そういや姉ちゃんって、色黒くて細かったよねえ。」
「そうだよ。スポーツマンだったよ。筋肉モリモリだったね。」
「すっかり忘れてたよー。顔も身体も変わっちゃったんだもん。」
「だからさ、病気になった時にすずきまさこは死んだんだよ。」
「そうだねえ。本当に別人だもんね。あれって誰だっけ?って感じだもん。」
「私がいつも自分がわからないって言っている意味がわかるべ?」
「あーなんとなくわかるわー」

本当の自分などというものは、あってないようなものだ。
あると思っている人格はだたの思い込みで、
きっと命果てるまで生きるただ一つの生き物それだけなんだろうけれど。

こうやってふと昔の空気を思い出すと、
自分というなんともあやふやな生き物が
もっと生き物としてはっきりこの世界に存在していたことを、
その「残像」のようなものがあるのを感じる。

私がいつも不安なのは、生きものとしての自身がないからだ。
薬がなければ簡単に死んでしまう、無理やり生きさせちゃってるなあと感じる身体。
薬で顔が変わってしまったので、写真を撮られても自分が写っている感じがしない。
身体と魂がいつも3センチずれている。

「こんなの私じゃない」そう思っていた時期もあったけれど
そんな時期でさえ「私なんてこの程度だ」とどこかで認めてしまう。
「泣いてもとに戻るならいくらだって泣いてやる」
そう思いながら「もう戻りたくはない」そう思う自分がいる。

もう一度、私が私に戻ったら、たぶんもう一度同じ苦しい道をゆくだろう。
苦しみの中にだけ生きている感触を感じていたのだから。
私はたくさんのものを失っただろうが、
その分、たくさんのものを得ているのも 確かなのだ。
それがいいことなのか悪いことなのか
そんなことはどうでもいいことなのだ。

小学生の自分を見たら
きっと私は泣いてしまう。
今よりもずっと大人で、賢くて、残酷で、優しくて
この世界に眩しく美しく存在していたことを
覚えているから。

だけど不思議だね。
戻りたいとは思わないんだ。

時々こうやって取り出して、
自分がどんな状態であっても
世界は何もかわらないということを
思い出すだけで十分だ。