2011年12月

今年あったこと。

妊娠した

東日本大震災があった

出産した

背骨がいっぱい潰れた

ばあちゃんが死んだ

愛犬が死んだ

まー君が交通事故で死んだ

家を建てた


冬、つわりがひどくて毎日洗面器と寝ていた。
家で一人でいたのでよけいにひどかったのかもしれない。
吐いて吐いて泣いて泣いてばかりいた。
どうしようもないことばかり考えて、
新しい命を授かった喜びはどこへやら
不安ばかりな日々だった。

春、つわりも少し治まってきて
やっと外出できるようになった。
買い物をしていたら、あの地震があった。
いつもより揺れるなあ〜ぐらいにのほほんと考えていた。
だんだんと状況がわかってきて
ああなんていうことが起きているんだ・・・・
という日々が何日も何日も続いた。

自分ができることは一体何だろう?

みんな今何を考え、どう生きているんだろう?

不安と恐怖と焦りと憤りと悲しみと
終わりのない疑問と・・・
頭の中だけが大きくぶよぶよに膨れていた。

そんな中でもお腹の中の命は毎日成長していて
そのこともとても不思議だった。

ああ命って一体なんなんだろう?

結局小さな自分は小さな自分でしかなく
できることは両手を広げたくらいのことしかない。
私が今できることは
無事に出産すること。
いい絵を描くこと。
家族を大事にすること。
当たり前の日々を無駄にせず生きること。
今までもそうやって生きてきたけれども
心持ちが変わっていた

初夏、フォイルが京都に移動することが決まった。
東京での最後の展示は川内倫子さん。
これは見に行きたいということで、大きくなってきたお腹で遠出する。
倫子さんは、魔女。
とても素敵な。。
夢のような楽しい一夜を過ごす。
この日がまともに歩ける最後の日となる。

次の日、背中の激痛で歩けなくなってしまう。
あまりの痛さに病院に行くとそのまま入院。
ベッドが空いてないので分娩室の隣にある分娩の待機ベッド。
夜中に何組も出産があって、妊婦さんの叫び声と看護師さんの励ましの声を聞く。
背骨の圧迫骨折ということで絶対安静。
身体も起こせず、トイレも寝たまま。
このまま出産までいきましょうということになる。
あと一ヶ月くらいこのままかあ・・・とそんなことを思っていた。

次の日の夜中3時頃、なんだか眠れずにぼおっとしていたら
「ぷち」っと音がして温かいものが流れ出てきた。
看護師さんを呼ぶと「破水しています。出産になります。」
と言われる。

何だかわからないままそれから6時間後に出産する。
全身麻酔が途中で切れて、死ぬ程怖い思いをする。
目が覚めると恐怖しかない。
お腹には何もいない。
赤ちゃんは産まれてすぐに子供病院へ転院されていた。
ぐらんぐらんした頭で赤ちゃんの無事を聞き一安心する。
写真とビデオの映像を見て、はじちゃんと二人で泣く。

小さな命は私から離れて一人で息をしていた。

大きな感動だったことは確かだが
急なことと手術のショックもあり「なんだかなあ」という気持ちが続いていた。
わけがわからないことばかりで頭の処理が追いつかなかった。
自分が母に??
我が子を抱いてもいなく、まだ寝たきりの生活で一日天井ばかり見ているので
やっぱり「なんだかなあ」という感じだった。

しかし身体はジャンジャンホルモンを出して、
母乳が出る準備をし始める。
痛いとは聞いていたが・・・これか・・・・
「みんなね、泣くよ」という看護師さんの言葉を聞きながら
ぐいぐいとごりごりに張った胸を揉まれる。
すこーしづつ母乳が出始める。

子が同じ病院に転院してきた。
初めて見る自分の子・・赤くて湿っていて温かかった。
でもまだ母になった実感がよくわからなかった。

寝た状態でなんとか乳を絞って子供に届ける。。
そんな生活が続いた。
背骨の検査ができるようになったのでMRIを撮ると
折れていないという。
起き上がってリハビリ生活になる。
寝たまま生活が続いたので身体を起き上がらせるだけでクラクラする。
立ち上がるところから練習・・・

だいぶ動けるようになってきたので私だけ一足先に退院。
退院直後からまた背中、腰が痛くて痛くてたまらなくなる。
それからほぼ毎日乳を3時間おきに乳を絞って病院に届ける。

精神的にも参ってきて、どうにもこうにもならなくなる。
婦人科に行くと「産後うつ」と言われて
ひどくなると本当の鬱病になってしまって大変だから
精神科に行ってくれと言われて受診する。
産後うつというよりは、治まっていたパニック発作と不安障害の再発。
(これは数年前の足の手術の時の薬の調節を医者が忘れたりした為に発病した)
一日一日、息をするので精一杯。
自分が死んでしまうこと息子が死んでしまうことに頭が取り憑かれてしまう。
怖くて怖くて仕方がない。
ああ今日も一日生き延びれた・・・という日々。

絶対にこの痛みはおかしいと違う医者に腰を見てもらったら
やっぱり圧迫骨折だった。しかも5カ所ほど折れていた。
骨がもうガラスのようになってしまっていた。
コルセットを作り、がっちり背骨を固めて生活をすることになる。

痛みと恐怖と不安の中でも、乳絞りだけはやっていて
毎日子供に会いに行った。
始めは保育器に入って、心電図をして点滴をして鼻からミルクを入れていたけれど
そのうちに口から飲めるようになり、点滴も外れて、保育器の外に出てきた。
むくむくと体重も増えていって、無事に退院することになった。

退院してしばらくは、父と母に通いできてもらっていたが
それも大変だということになり、実家に帰ることにした。

毎日そこに小さな人がいることにびっくりする。
おお、そういえば赤ちゃんがいた。と言葉にするとバカみたいな感情だ。

出産という大仕事を終えて、
「生命の神秘」のようなものに少し触れたような気がする。
言葉にはできないが確かに触ったのだ。
ああ〜なるほどね〜という感じ。
「繋げる」というのが一番近いかな。
感覚で言うと「私が死んでもこの子は死なない」ということだ。

気がつくと夏をすっとばして秋になっていた。
背骨のことを考えて母乳で育てるのを諦めてミルクにした。
少しの重さでも背骨が潰れてしまうので
赤ちゃんが泣いていても抱っこができない。
寝返りを打つ度にあばら骨が折れるのではないかとヒヤヒヤする。
何をやるにもまた折れるのではないか?と24時間緊張している生活。
疲れる・・・
が、もう頑張るのはやめにしたのでできないことはできないということで
みんな家族に手伝ってもらって子育てをする。

私の両親はまさか私が結婚をして子供を産むなんて思っていなかった
というか私も全く想像すらしていなかったので
私よりも感動して、喜んで、嬉しくて嬉しくて
赤ちゃんが可愛くて可愛くて仕方がないみたいだ。
(出産の当日、鈴木家はまさこが今度こそ死ぬかもということで全員集合だったし)
「なんだかなあ」と思っていた気持ちも
父からの「孫を見せてくれてありがという」という言葉で
ああそうかいいことをしたんだと思えた。

夏から着工していた家がだんだんと出来上がってきていた。
畑だったところを整地して地盤調査をしたりして、
無事に上棟式も行うことができた。
途中、大きな台風があり、その為資材が入手できなくなって遅れ気味になる。
この台風で2日間実家は停電して、新しい家の近くはそこここで崖崩れが起きた。

私は家が建つ間にまた背骨を痛めたり、
息子の予防注射に行ったり、
ぱたぱたと毎日が過ぎていった。

この頃に末期癌と宣告されていたばあちゃんの余命がはっきりしてしまう。
なんとか息子を見せに行く。
震える手で息子に触れてくれて、誕生を喜んでくれた。
ああ産んで良かったな・・しみじみそう思った。

それから一ヶ月後にばあちゃんが亡くなる。
私は背骨が痛くてお葬式にもお通夜にも出られなかった・・・
一度でも子供を見せにいけて本当によかった。
母ちゃんは自分の母親が亡くなったことでやはりショックだったようだ。
父親とは違う、母親の偉大さって、やっぱり何者にも変えられないものなのだろう。
自分がその「母」という存在になったという実感はまだそんなにないのだが。

また命って何だろうなと思う。
人は死んだらどこへ行くんだろうなあ。
もし母が死んでしまったら私は何を思うんだろう。

それからしばらくしたら同級生のまーくんが交通事故で死んでしまった。
突然のことだ。
事故など本当に一瞬だ。
一瞬が命の分かれ道なのだ。
お悔やみに言ったら、本当にまーくんが死体になっていた。
まーくんのお母さんが「まさき死んじゃったあ」と言った顔が忘れらない。

まーくんは少し頭が悪かった。
家が近くて幼稚園に一緒に通った。
中学に入ったらほとんど話すことがなくなった。

死んじゃったんだ・・・
事故で頭を打ったせいでゆがんでしまった顔を見て
土色に変色してしまった顔を見て思った。
悲しいとか寂しいとかじゃなくて
ただ呆然とするだけだ。
数日前までこの口が喋っていたのだな。
それがもう二度と、二度と動くことはない ということなんだ。
「生き返る」って生物的には「ない」んだな。
記憶の中ではどんな姿でも生きられるんだけど。

事故の瞬間、彼が考えていたことは何だろうなあ。

ばあちゃんが亡くなってから一ヶ月後に愛犬のモカちゃんが死んでしまった。
老衰だったと思う。
だんだんと歩けなくなって、だんだんと食べられなくなって。
最後食べたいものをと思って好きに食べさせてあげたら
消化がもうできなかったのかもしれない
お腹が変に膨れてしまって、そのまま逝ってしまった。
最後の最後、そばに居てあげられなかった・・

死んでしまったら、もうできないんだな
したいことも、会う事も。
すごいいい最後とは言えなくて、でも何ができたのかわからなくて
ごめんねごめんねと言いながら見送った。


死ぬって生きるって何なんだろう?
少し前まで存在しなかった命を新しく作ることができた。
なんていうことなんだろう。
少し前まで存在していた命がいなくなってしまった。
なんていうことなんだろう。


だんだんと寒さが厳しくなってきた冬に新居が完成した。
年末に引っ越しをした。
はじちゃんと二人で住んだアパートも引き払った。
不思議だね。それまでそこが自分の居場所だったのに
荷物がなくなって、鍵を返したら
いきなり他人のものになって
もう入ることは一生なくなってしまうんだから。
あの窓からの景色を見ることはできないのだなあ。


新居には3人。
私とはじちゃんともう一人。
新しい場所で新しい家で、新しい生活が始まります。


生と死や、
この日本という国のことや、
自分のこれからの人生を
ナイフを突きつけられるように
考えるような出来事が
たくさんあった年でした。

自分はあとどれだけ生きられるのか
この身体はこれからどうなってしまうのか
この子の見る私の見る事のないだろう未来には希望があるのか
一度染み付いてしまった不安は取れることはないけれど
それでも日々を大事に
楽しさを忘れずに
生きていきたいし
生きていかなきゃいけないと思う。
やりたいこと、どんどんやんなきゃなあ、死んじゃう前にさ。